移住するまで5年! 練りに練った事業計画

クワガタ移住と仕事のリアルインタビュー
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移住と仕事のリアルインタビューVol.5(前半)

彼の仕事はありきたりな言葉では説明できない、そんな仕事でした

今回取材したのは、新潟県出身の菅原亮さんです。菅原さんは5年前、ご家族で当時の勤務地、長野県から移住してこられました。

もしかすると、クワガタやカブトムシが好きな方なら、菅原さんが「菅原昆虫店」の店主で、「美郷の昆虫博士」と呼ばれていることをご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

又は、移住して林業に従事されているということを、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。確かにどちらも間違いではないのですが、これは、菅原さんの一面を切り取ったに過ぎません。

菅原さんは、美郷町移住後、いくつかの事業を手がけていらっしゃいます。田舎暮らしにおいて複業は珍しくありませんが、菅原さんに関しては、戦略的に複業を展開しているようです。

ともすればとりとめのない、自由気ままな複業に見えて、実はすべての事業は一つの根幹につながります。菅原さんは、その根幹を実現させるために美郷町に移住してこられたようですよ。その根幹とは一体何なのか。深い深い菅原さんの移住と仕事のはなし、是非最後までお付き合いください。

移住して、好きな仕事を気の向くままに…??

台場クヌギ
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職業山師?

――菅原さんのお仕事を教えて下さい

「林業、カブトムシ・クワガタの養殖、キノコ栽培、キャンプ場管理に天蚕です」

――幅広くお仕事をされているのですね。一つ一つについて教えて下さい。まず、林業ですが、こちらに来て初めてチャレンジしたのですか?

「そうです。今所属している(株)HUTTEの社長に一から教えてもらいました。」

――林業は危険と隣り合わせのお仕事ですが、危ない目に遭ったことは?

「安全面の管理はしっかりしている会社なので、大きなけがはすること無く、今に至ります。ただ、蜂にはよく刺されます。いつも一人だけ狙われて…、俺のこと好きなんだろうな、蜂…」

――菅原さんの昆虫愛が、蜂にも伝わってますね(笑)今までで大変だったことは何ですか?

「暑さですね。今ではずいぶん慣れたけど、最初の二、三年は、夏はすっかりバテてました。宮崎の夏は暑いですね…」

――南郷は特に冬寒く、夏暑いことで有名ですものね。

職業カブトムシ・クワガタのブリーダー?

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――カブトムシ・クワガタの養殖について教えて下さい。なぜこの事業を始めたのですか?

「小さい頃から虫が好で。永遠の小学生なんです(笑)」

――極めるタイプの人ってそんな方が多いですよね。どういうカブトムシ・クワガタを扱っていらっしゃるのですか?

「外国産オオクワガタや、自分で採取して、卵から育てたものです。知ってますか?宮崎産のクワガタやカブトムシって他よりちょっと大きくて、ネームバリューがあるんですよ。グレードの良いものは高価格帯で販売できます。」

――全然知りませんでした。どうして宮崎産のものは大きいのでしょう?

「普通のカブトムシやクワガタは、真冬になると冬眠して成長が止まるところ、宮崎のカブトム・シクワガタはのんびりしていて、真冬もすこーし成長を続けるんです。のんびりしているのは宮崎の人たちと一緒です(笑)」

――なるほど(笑)どのように販売していて、どういうお客様が多いですか?

「インターネットでの販売がほとんどです。お客様はほぼ県外の方で、大阪が多いです。最近はイベントで直接販売する機会もあります。これはお客様と直接交流できて、いいですね。」

職業天蚕業?

――天蚕(てんさん)について教えてください。

「これから始める事業です。普通の蚕ではなく、ヤママユガの繭から絹糸を取ります。」

――ヤママユガというと、すごく大きな幼虫で、黄緑色の繭を作るんですよね。ヤママユガからとれる絹糸は超高級品だと聞いていますが、ご自分で糸を紡ぐんですか?

「その予定です。殺さずに糸を紡ぐ、アヒンサーシルク(インドの言葉で不殺生)を作る予定です。」

――なぜ、天蚕を始めようと思ったのですか?

「食草がクヌギだからです。ただ、今年はヤママユガを見つけられなくて。全然何もできませんでした(笑)」

――そうですか。今後の展開に期待ですね!

職業キノコ栽培業?

――キノコ栽培について教えて下さい。どういうキノコを作っているのですか?

「原木椎茸です。それから、キクラゲ、まいたけ、ひらたけ、なめこです。」

――原木のなめこや、まいたけなんて、見たことがないですが

「そうですね。形が崩れやすかったりして、流通にはなかなか乗らないです。だけど実はキノコは縄文時代から日本人が食べていたもので、ひらたけは主食だったんですよ。」

そういえば、今昔物語集にも、ヒラタケが出てくる話がいくつかありましたね。キノコは昔からなじみの深い食べ物だったんですね。

美郷町に移住を決めたのは、クヌギがあって、里山文化が残っていたから

里山
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――美郷町に移住したのはなぜですか。

「自分の事業の目的に合った土地だったからです。クヌギがあって、里山文化が残っていて、原木椎茸の栽培が盛んなところを探して、美郷町に決めました。」

――椎茸ですか?

「以前は、某有名大手キノコ工場につとめていました。生活は安定していたけど、東日本大震災を経験し、いろいろと思うところがあって、自然の中でゼロから何かを作って販売したいと思うようになりました。そんななかで、一次産業に惹かれて、それまでの菌床ではなく、原木で椎茸を作ってみようと思いました。」

――ということは、現在のお仕事はすべて移住前に決めてあったんですか?

「そうです。5年くらいずっと考えた末に移住してきました」

――えええっ、5年も!? 

「そう。5年間ずっと(笑)」

――えええー!? 

5年間の移住計画を練って美郷町に移住してきた菅原さん。5年間、どんな作戦を練ったのか。気になる続きは後編へ。

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